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あやめφ ★:2008/03/27(木) 00:02:15 ID:???
登米市中田町出身の漫画家石ノ森章太郎さんが1998年に亡くなってことしで10年、生誕70年に
当たる。「章太郎との出会いが人生を変えた」―。高校時代に腕を競い合った青森県八戸市の
類家正人さん(70)は、節目の年に半世紀前の青春の日々を思い出し、仲間だった「天才漫画家」を
しのんでいる。
類家さんは八戸市生まれ。病弱だった幼児期、病床で少年漫画をむさぼり読んだ。当時は
のらくろ、フクちゃんが全盛の時代で、漫画の模写を描き始めた。「トイレの壁に落書きしては、
父に殴られた」と笑う。
運命の出会いは中学2年の時だった。中学生新聞に4コマ漫画を投稿し、トップの「横綱」に輝く。
選者は手塚治虫さん。すると、同じく投稿の常連だった宮城の石ノ森少年から手紙が来た。
「同じ東北に漫画を書く人がいるのは感激だ。一生懸命やりましょう。ただやるのは何だから、
仲間たちで東日本漫画研究会を作りませんか」。おおよそこんな内容の手紙だったという。
それから、文通が始まった。互いに近況報告に漫画を添えた。類家さんの実家近くにあった
米軍キャンプの関係者から、ディズニーやトムとジェリーの漫画本をもらうと、石ノ森さんに送った。
お返しに古里の干し柿が送られてきた。
石ノ森さんは高1の夏休み、八戸に3週間滞在し、類家さんと肉筆回覧同人誌「墨汁一滴」を
編集した。2人で漫画家馬場のぼるさん(1927ー2001年)の青森県三戸町の生家を訪れたり、
種差海岸や十和田湖など景勝地を観光したりした。
進路を決める高3。美術大学を目指していた類家さんは、石ノ森さんを誘った。「手塚さんの
仕事が入っているから」と断られたという。類家さんは漫画の道をあきらめ、東京の武蔵野
美術大に入学。洋画の勉強を始めた。
東京では、著名な漫画家を数多く輩出したトキワ荘に出入りした。手塚さんの引っ越しを
手伝ったことも。その後、体調を崩して大学を中退し、八戸に戻ってから現在まで居酒屋経営の
傍ら、洋画、詩作と芸術活動を続ける。
石ノ森さんとの出会いを「衝撃だった。ある種の事件」と語る類家さん。「絵がうまいし文章もうまい。
天才だと思った」。交わした書簡や作品は、漫画の道をあきらめたときに処分した。「今になって
みれば、持っておけば良かったかな」と古希を迎えた漫画少年は静かに笑う。
河北新報
http://www.kahoku.co.jp/news/2008/03/20080326t25008.htm